海外マルファン情報

米国マルファン症候群患者団体The Marfan Foundationからの情報を中心に、マルファン症候群や関連疾患についての海外情報を翻訳して発信します。

大動脈手術を受けた子ども・ティーンからのアドバイス

 

はじめに

 

大動脈の手術を受けるとなると、怖くなったり、色々と訊きたいことが出てくるかと思います。The Loeys-Dietz Syndrome Foundation (LDSF) は、これから手術を受ける皆さんへのアドバイスとして、会員であるお子さんやティーンに手術について質問をしました。それぞれ経験は異なりますが、彼らの回答が手術の準備や医師や看護師に質問する際の参考になれば幸いです。

 

注意

身体から血や管が出ている写真が出てきますが、手術では当然の処置ですので心配しないでください。

 

謝意

Caslinのご家族には入院中の彼女の写真を撮っていただきました。Aaron、Jessica、Miles、Courtney、Gabi、Loganを始めとする、LDSF会員の皆さんにはアドバイスをいただくと共に、LDSFの活動に尽力していただきました。御礼申し上げます。

 

- 手術を受けることになった時はどう思いましたか?

 

  • いい先生達だったので、怖くなかった
  • すごく怖かった
  • どこかで手術が必要となることはわかっていたので、不安にはならなかった
  • 一年前にも大動脈の手術をしていて、その時の痛みや不自由さを覚えていたのですごく焦った
  • 不安で怖かった

 

- 家族やお医者さんにどのような質問をしましたか?

 

  • 入院期間
  • リスク
  • 手術後に血圧の薬を飲む必要があるかどうか、今と同じくらいの運動制限があるかどうか
  • 手術が成功するかどうか、どのくらいで管が抜けるか、本当に自宅に帰れるのかどうか
  • 痛みや手術の内容、入院期間、回復期間、傷あとの大きさ、通常の生活に戻れるかどうか、術後の制限、同じような手術を受ける必要があるかどうか、手術によって問題が解決するかどうか

 

補足:

手術では呼吸しやすくするために喉に管が入りますが、術後しばらくすると抜くことになります。手術では当然の処置ですので心配しないでください。

 

- 友達に手術のことを伝えた時どのような反応でしたか?

 

  • 自分は平気だったけど、友達の方が怖がっていた
  • きっと成功するから、心配しないで、と精一杯伝えた
  • いずれ必要なことだとわかっていたので、友達に伝えるのはそんなに大変じゃなかった
  • 6年生のクラスでロイス・ディーツ症候群についてのプレゼンをした。病気のせいで身体がどうなるのかを説明して、クラスの質問にも答えた。手術のことは学校の友達には話さず、仲の良かった友達数人にだけ伝えた。でも、詳しいことは話さなかった。
  • それほど悪い反応じゃなかった。そわそわした感じで不安の目で見られたけど、親友だったから、理解しようとしてくれてちゃんと側にいてくれた。

 

- 手術を受けたのは何歳の時ですか?

 

  • 14歳
  • 2歳
  • 13歳
  • 最初の手術は4歳で二回目が12歳、三回目が13歳
  • 14歳

 

- 手術について友達にどう説明しましたか?

 

  • 心臓の一部分を取り除いて、そこにプラスチックを入れるんだって教えた
  • 大動脈の根本にネオプレンでできた袖みたいなのをかぶせて、裂けないようにするって教えた
  • 何も言わなかった。そこまで教える必要はないと思ったから
  • まず最初に、大動脈が心臓とつながるところにできている膨らみにプラスチック製のチューブをかぶせる。次にその膨らんだところを切ってから、チューブと大動脈を縫い合わせるんだって教えた
  • ママがいっぱい調べて手術の写真を集めてくれたから友達には説明しやすかった。胸を切って開けた後で、手術中に血液を送ってくれるバイパス用の機械と体をつなぐんだ。大動脈基部の置換っていうのは、大動脈の根本の膨らんだ部分を取り除いて、そこに人工の管をいれて、心臓と大動脈と管をつなぐこと。そして心臓を体に戻して、胸を縫えばおしまいだよ。

 

☆ 大動脈基部手術について(ロイス・ディーツ症候群専門医による説明)

 

大動脈は心臓から全身へと血液を運ぶ重要な管です。キャンディーケーン(杖型の飴)のような格好をしています。最も膨らみやすい箇所は大動脈の根本で、そこで心臓とつながっています。この根本が大きくなりすぎると、その部分を交換するための手術が必要になります。手術では、まず眠たくなる薬を飲みます。その後で、手術の先生が胸を開けて心臓と大動脈を観察します。大動脈の根本を取り除き、その場所に人工の血管(破れない丈夫な素材でできた管)を縫い付けます。

 

- 手術に向けてどのような準備をしましたか?

 

  • 特に何もしてないけど、手術の後はあまり食べれなくなると思ったから、入院前の夜はリッチな食事をした
  • 精一杯生活を楽しんだ
  • 手術のことは忘れるようにした。不安になりたくなかったから
  • 学校の先生達は手術のことをわかっていたから、自分が学校に戻った時のために勉強の計画を立ててくれていた
  • 手術とか今後のことについて、ママは全部オープンに話してくれた。ママにまかせておけば、何も悪いことは起こらないから、きっと大丈夫って思っていた。ママが持っていた分厚いノートには、僕が質問しそうなことが全部書いてあった。

 

- 手術室に向かう間どのようなことを考えていましたか?

 

  • 少し緊張していたけど、なぜかワクワクした
  • 両親や看護師さんがずっと話しかけて笑わせてくれたから、あまり手術のことは考えずに済んだ
  • 普通は不安で怖くなると思う。でも、両親がずっと付き添ってくれて、お医者さんたちも手術室まで付いてきてくれた。ママは僕にいつも楽しいことを考えなさいって言っていたし、一緒に思い出を話すこともあった。例えば、僕が大好きだったビーチで過ごした日々のこととか、いとこと一緒に過ごした時間、家に帰ったらしたいこと、ピザパーティのこと、図書館とかショッピングに行くこととかだね
  • 少し怖かったけど、手術のことをあまり考えないように家族が笑わせてくれた

 

- 病室に持ち込んだものは何ですか?

 

  • ブランケットとか枕とか、病院で気持ちよく過ごすために必要なもの
  • 服と大好きなテディベア
  • ブランケット、ぬいぐるみ、スマホ
  • まず絶対必要なもの ―― スマホiPad、本。それから、枕、メイク道具、ぬくぬくソックス、レギンス、病棟を歩けるようになったとき用のボタンダウンシャツ
    スマホ、服、化粧品。スマホで音楽をたくさん聞いて気分転換をしたり、ゲームをした。

 

- 病院のチームにはどのような人達がいて、どのようなサポートをしてくれましたか?

 

  • 手術の先生と心臓の先生、それから看護師さんがたくさん。他の人より技術がある人もいたけど、ほどんど皆がすごい人達だった
  • 看護師さん、牧師さん、遺伝の先生
  • サムっていう女の看護師さんが笑わせてくれたし、ローレンっていうICUの看護師さんのおかげで手術は成功したって思えたんだ。
  • お医者さんとか看護師さんの他に、チャイルド・ライフ・スペシャリストっていう人達がいて、いつも病室に来て楽しい遊びを教えてくれたんだ。何もしたくない時もあったけど、来てくれてホント嬉しかった

 

- 手術を終えて目が覚めた時はどんな気持ちでしたか?

 

  • すごく痛くてだるかった。体はなんとか動かせて、誰かが話したこともやっと理解できる感じだった
  • 超だるくて痛かった
  • 覚えてないよ
  • とんでもなく大変だった。手術が終わって目を覚ました時が一番つらかった。しゃべれなかったし、ものすごく喉が乾いていたんだ。でも何も飲ませてもらえなかったんだから
  • 怖かったよ。だって体から管が3本出ていたんだから。呼吸用の管のせいで飲み込めなかったんだ。CICU(心疾患集中治療室)には、患者と家族は一緒に長くはいられないんだけど、僕が眼を覚ますと、看護師さんがすぐに家族を呼んでくれたんだ。何か飲み物とパンケーキが食べたいって言ったのを覚えてるよ。

 

- 病院での付き添いについて教えて下さい

 

  • パパとママが交代で付き添ってくれたよ。すごく当たり前のことだけどね
  • いつも付き添ってくれたのはママだけど、パパは毎日お見舞いに来てくれたよ
  • ソファーとかリクライニングチェアで仮眠しながらパパとママはずっと付いていてくれたよ。きっと寝心地は良くないと思うけど。
  • CICU にはパパとママは長くはいられなかったんだけど、そこに僕は1日もいなかったからね。一般病棟に移った後はママとおじさんが付き添ってくれたんだ。おじさんは仕事があったから一晩しかいられなかったけど、ママがずっといてくれたよ。お姉ちゃんと数人の友達がお見舞いに来たんだ。4日間入院して、その後で家に帰ったよ。

 

- お見舞いに来てくれたのは誰ですか?

 

  • ママとお姉ちゃんと大好きなおじさん。手術の日にいてくれたんだ。おじさんはすごく面白い人でね。一緒に遊んで笑わせてくれて、不安にならずに済んだんだ
  • 友達と家族。うれしかったんだけど、ずっと見られてたから恥ずかしくって。彼らはお構いなしだったけどね
  • 3人の兄弟とおじさん、おばさん。地元の病院じゃなかったから。
  • おばさん、おじさん、おじいちゃん、おばあちゃんと妹。PICU(小児集中治療室)にはあんまり人が来てほしくなかったから、両親とおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん達だけ。一般病棟に戻った時にはいろんな人が来てくれたけど、家族以外には家に帰ってから来てほしかったな。
  • 親友たちがお見舞いに来て、食べ物を差し入れてくれた。会えてうれしかった。お姉ちゃんも食べ物を持って来てくれた。

 

- 入院中にもらってうれしかったプレゼントは何ですか?

 

  • 食べ物をもらったけど実はあまりうれしくなかったよ。塗り絵とか、Xboxとか時間を潰せるものはよかったけどね。
  • 家族からもらった風船
  • パパが買ってくれた扇風機だね。おかげで、すごく快適になったんだ。それと、ずっと欲しかったボードゲーム。病院じゃできなかったけど、家に帰ってからは夢中になっちゃった。
  • ベッドで寝ている時に一番うれしかったプレゼントは風船だね。部屋が明るくなったから。病室の壁にTigerbeatのポスターを貼ったり、American Girlみたいな雑誌もよかったよ。
  • 妹のパパからもらったマンガ本とか、おじいちゃんおばあちゃんにもらったお菓子とかスナックだね。友達とか妹からは風船とか食べ物をもらったよ。

 

- 回復を早めるために看護師さんからどのようなアドバイスをもらいましたか?

 

  • 看護師さんは早く回復させようとして無理させるのが普通だと思うけど、結局それが一番の方法だって知ってるんだよね。
  • シャボン玉を吹く
  • 背筋を伸ばして座る、深呼吸する、歩く
  • きちんと座って、なるべく早く理学療法を始める
  • 起き上がって歩き回る、眠れる時に眠る

 

- 手術の後うれしかったことや大変だったことは何ですか?

 

  • 単に横になって、皆と何かを見ているのが楽しかった
  • 胸の切ったところが治らなくて、それを治すために二回目の手術をしたんだ。それが大変だった
  • 大変だったのはおしっこを出すための管と胸の管だね。ゆったりとした気持ちで静かにしていたら、気持ちが楽になったよ
  • 痛み止めで楽になったけど、完全に痛みがなくなったわけじゃなかった
  • 胸の管が取れてからは気分がよくなった。最悪だったからね。なんか掃除機が胸の中から吸い出してるみたいだった。管が無くなってからは、10倍くらい気分が良くなって動き回れるようになったんだ。ベッドは寝心地がよくなかったよ。

 

- 手術後は体中が管だらけだったと思います。どのような気持ちでしたか?

 

  • 痛みとか怖さよりも大変で、不便だった。慣れるしかなかったね。
  • 怖かった
  • すぐに慣れたよ。いろんなことが次から次へと起こったから、そんなに気にしなかった
  • 大体は大丈夫だったけど、動脈に入っていた管はホントに痛かった
  • CICUにいた時は管のこととかは全然覚えてないんだけど、そこで、首と呼吸の管が抜けたんだ。ステップダウンユニット(ICUから一般病棟に移る間に短期間滞在する病棟)で胸から出ていたドレーンの管が取れて、ホッとしたよ。静脈ポートは両腕に一つづつあって、退院の日まで残ってたよ。全部取れて家に帰れてすごくうれしかった
  • 呼吸の管が入ってて、手術から目が覚めた後はしゃべれないよ。それがすごくムカついた。管が抜けて食べた最初の食事は吐いちゃった。飲んだ薬で吐いちゃうこともあるし。胸のチューブが最悪だった。抜けるとすごく楽になった

 

- 傷あとをどう思いますか?

 

  • すごくかっこいいと思う。
  • 年齢が上がったから少しは慣れたと思うけど、10代の女子よ。傷あとはやっぱり嫌。
  • 皆から見られるのは嫌。恥ずかしいわけじゃないけど、注目されたくない。
  • かっこいいなんて思ったことはないよ。一回もね
  • ママが「これでジッパークラブ(心臓の開胸手術を経験した人の集まり)の仲間ね」って言ってた。手術からもう5年経って傷も薄くなってきた。前は悩んでたけど、今はそんなじゃない。

 

- 入院期間はどのくらいでしたか?自宅に帰った時はどのような気持ちでしたか?お祝いをしましたか?

 

  • 病院にいたのは3日間だよ。家に帰るのは悪くなかったよ。パパがすごいドライバーだから、そんなに怖くなかったからね。特にお祝いとかはしなかった。ただやりたかったことをしただけだよ。
  • 病院にいたのは10日間
  • 病院には手術の後5日いたよ。その後、こども病院で5日間過ごしてから家に帰った。家に帰るのは最高だね。自分のベッドが懐かしかった。家族皆でディーナーでお祝いしたよ。
  • 4日間。自分のベッドで眠りたかったから、家に帰れてうれしかった。ママが帰る途中にチックフィレイを買ってくれたよ。家に帰ってすぐにXboxで遊んだよ。

 

- 自宅での回復の様子を教えて下さい

 

  • 時間がかかった
  • 疲れやすくなった
  • 家に帰る頃にはすごく元気になっていたから、学校に行けなくて退屈だった。パパと一緒に毎日散歩して元気になろうとしたよ。宿題を始めたのは、家に帰った次の日(退院してから一週間後)だよ
  • 最初の一週間はママが無理させてくれなかったんだ。僕の部屋は2階にあるんだけど、階段は問題なく登れたよ。僕が決められた時間に薬を飲んでるか確認してくれたんだ。痛みで眠れない時があったんだけど、その夜に強い痛み止めを飲んで、お昼にタイレノールアセトアミノフェン)を飲んだんだ。痛みはそんなに強くなかったから、また普通に戻ったよ。

 

- 元の生活に戻るまでどのくらいかかりましたか?

 

  • 元の状態って人によって違うと思うけど、僕の場合は3、4週間くらいかな。
  • 家族と普通の食事ができるようになった夜だね。手術から8日後に外食したんだけど、その時にはいつもの自分だって思った。家に帰ったのは手術から11日後だったけど、その時もそんな感じだった。
  • 手術が終わって家に帰った時は学校が休みの週だったから、学校に戻れたのは2週間後だね。元の自分に戻るのには6週間くらいかな。

 

- これから手術を受けるみんなへのメッセージをお願いします

 

  • ストレスを溜めないことだね。お医者さんたちは治療のことを全部わかってやってくれてるんだから、怖がっちゃダメだよ
  • 子どもの方が大人よりも回復は早いと思うよ
  • 悩んだり、考えすぎたりしないことだよ。お医者さんに全部まかせるしかないんだから。大変なのは1週間だけだよ。次の週からは動き回れるし、普段の生活に戻れるよ
  • お医者さんに質問してみてよ。担当の先生たちは何でも正直に答えてくれた。だから、先生たちは治療のことをちゃんとわかってるんだって思って安心したよ。手術が終われば普通の生活が送れるようになるからね。手術を乗り越えれば、スーパーヒーローになれるんだ。

 

- 手術を終えた子どものご両親からのアドバイス

 

  • 大騒ぎしないことですよ。手術で子どもの人生が決まってしまうわけではないんですから。子どもは親の様子から学び取る力があります。親がしっかりしていれば、子どももきっと大丈夫です。
  • 手術なんてとんでもない、と思うかもしれませんが、統計的に見れは、すごく安全性の高い手術なんですよ。手術のことだけを気にかけるのではなく、その先を見てください。
  • 毛布を余分に持っていってください。子どもは暑がっていたんですけと、私はすごく寒くって…
  • 飛行機用のネックピローを持っていくといいですよ。イスに座って仮眠を取る時に役立ちます。
  • 遠くの病院での手術になる場合には、病院の近くにドナルド・マクドナルド・ハウス(https://www.dmhcj.or.jp/use-house/)がないか探してみてください。私達家族は非常に助かりました。病院に滞在している間は、この施設に戻ってシャワーや着替え、仮眠を取ることもできます。(息子は夜一人になりたくなかったようですが…)退院できたものの、検査などがあって自宅に戻るのは早いといった場合には、寝室とは別の部屋で映画を見たり、テーブルで食事したり、料理できたりと、自宅のように過ごすことができました。ホテルの部屋だったらとてもこうはならなかったと思います。
  • 病院には手軽に食べられるプロテインバーなどを持っていくことをおすすめします。病院の食事には満足できないかもしれませんので。気が動転して食事を頼み忘れることもしょっちゅうでしたが、子どものことに集中するためにエネルギーは必要です。そんな時の栄養補給にプロテインバーはうってつけでした。睡眠不足で免役が低下すると思ったので、エアボーンというサプリも持っていきました。
  • 眠ることは大事です。私は子どもが生まれた時のように、子どもが眠った時には自分も眠るようにしていました。だから、少しでも眠るようにしてください。親が体調を崩してしまうと元も子もありませんから。
  • 私はステンレスのボトルを持っていきました。すごく便利で、冷たい水を飲みたい時には助かりました。脱水には注意ですよ。
  • 子どもは本当に回復が早いです。身体は自然と治るようにできているんです。皆さんが心配するほどではありませんよ。手術から8日目には家族で外食して、2週間後にはもう宿題をやっていて、痛み止めも全く要らなくなりました。普通の生活に戻ったんです。
  • 友人や家族から何かできることがあると尋ねられると思います。病院の近くに知り合いがいる場合には、病院に食事を持ってきてもらえるとすごく助かります。親がうれしそうにしていると、子どもも喜びます。本当に役に立ちたいと思っている人たちなのであれば、思い切ってお願いしてみてください。私達は親戚に昼食や夕食を持ってきてもらいました。温かい食事を口にできるのは格別ですよ。退院後もたくさんの人から食事の差し入れがありました。料理する私には何の問題もないので、ご厚意に甘えるのはプライドが許さなかったんですけど…甘えちゃいました。用意してもらった食事を皆で一緒に食べると楽しくて、自宅の良さを実感しました。
  • 子どもは手術についてあれこれ知らなくていいんですよ。どうしていいかわからなくなるだけですから。逆に子どもにリードしてもらってください。そして、子どもには嘘を付かないこと。10代になった娘は、信頼できるドクターと話ができてすごく喜んでいたんですよ。
  • 常にお子さんの側にいてあげることです。看護師さんがどんなに素晴らしい人であろうと、近くにいる父親や母親とは比べ物になりませんからね。特に、回診の時や治療の説明の時はお子さんの近くにいてあげてください。それから、お子さんには自分でコントロールできて、安心できるものを与えるといいと思います。スマホで読める本など何でも構いません。
  • 「自分以上に子どものことを理解している人間はいない」ということを心に留めて置くこと ―― 私から皆さんへの最大級のアドバイスです。いい方向に進んでいないと思ったら、遠慮などせずにドクターに質問してください。
  • 何事も正直が一番と常々考えている私ですが、子どもに伝える内容については年齢や成熟度に合わせた方がいいですね。子どもは私がしたことや必死で調べたことを全て頭に入れていたんです。受診日や担当チーム、術式、病院に関する情報など、思いつく限りのことを記入したノートを病院に持っていきました。病院に行く前には息子と一緒に復習しました。手術をしてくれるのは最高のチームだということ ―― そのことを伝えたくて母親としての役割を果たしたのだと、息子にわかってほしかったんです。
  • 私の娘が大動脈の手術を受けたのは11歳の時でした。それ以前にも何度か手術は受けていましたが、このくらいの年齢で手術の準備や手術からの回復が難しくなるんです。なぜかというと、身体的な部分だけでなく、精神的な部分も考えざるを得なくなるからです。慢性的な病気を抱える子どもの場合、人生の大部分は自分ではコントロールできません。そのため、自分で思い通りにできる何かが必要になります。親としてできることは、可能な時にその何かを与えることです。子どもにはドクターと直接やりとりさせてください。ドクターからの質問に親が答えてはいけません。いずれ子ども達は自分の力で生きていけるようにならなければなりません。親が情報を与えなかったり、口を挟んだりしてしまうと、自分自身で道を切り開くチャンスを子ども達から奪うことになります。生きていく過程で子ども達が悲しみや恐怖を経験することも必要です。とはいえ人生に絶望させてはいけません。病気のことを忘れることはできないでしょう。ですが、だからといって、人生が病気で支配されるわけでもありません。どんな壁が立ちはだかろうと子ども達に生き抜く力を与えること ―― これが親の責務なのです。

 

出典:

https://static1.squarespace.com/static/5be355670dbda39d591a525e/t/5d0fd57645897f0001096215/1561318779956/surgery_child.pdf

 

The Loeys-Dietz Syndrome Foundation, a division of The Marfan Foundation, did not participate in the translation of these materials and does not in any way endorse them. If you are interested in this topic, please refer to our website, loeysdietz.org.

The Marfan Foundation の一部局である The Loeys-Dietz Syndrome Foundation は、当翻訳には関与しておらず、翻訳内容に関してはいかなる承認も行っておりません。このトピックに興味をお持ちの方は loeysdietz.org にアクセスしてください。