海外マルファン情報

米国マルファン症候群患者団体The Marfan Foundationからの情報を中心に、マルファン症候群や関連疾患についての海外情報を翻訳して発信します。

絆を強さに

2021年11月30日

 

2020年5月、コロナ禍で世界中が外出制限の中、ニューヨーク州クイーンズに住むユリアと夫は、幸せを噛みしめながら初出産に向けた準備を進めていました。ユリアは学生で、母子ともに経過はすこぶる良好に見えました。

 

妊娠38週目。事態は一変します。

 

5月のある夜のこと。ユリアは体の異変に気が付きます。「その夜は体がすごく火照っていたんです。寒がりなので、いつもソックスとかズボンとか色々はいているんですけど…」なかなか寝付けず、呼吸が苦しくなって翌朝5時に目を覚ましたものの、やはり体は熱く、めまいもありました。彼女は水を飲んで腰を下ろすと、気を失い、顔とお腹を下にして倒れ込んでしまったのです。この音に目を覚ました夫は、数分かけて彼女の意識を取り戻すことができました。

 

「顔から出血していました。お腹が下になっていたので赤ちゃんが心配で…意識を取り戻して気分は良くなっていたんですけど、何かあってはいけない、と救急車を呼びました」

 

搬送された最寄りの病院では、ユリアと赤ちゃんのモニタリングが始まりました。モニタリング中、母親が意識の消失と回復を繰り返していたことから、チームは帝王切開での分娩を決断します。「意識はずっと途切れ途切れでした。眠ったかと思うと目が覚めて…気付いたら別の部屋にいたんです。赤ちゃんは朦朧とした意識のまま生みました」

 

激痛に苦しんでいたユリアでしたが、何度お願いしてもチームは薬を使おうとしませんでした。この時、彼女の知らぬ間に、心臓の緊急手術に向けた準備が進められていたのです。COVIDによる面会制限もあり、1人きりで痛みに耐えながら、時折取り戻す意識の中、子どもに会いたいと必死のユリア ―― 「全身のあちこちに痛みがありました。やっと会えた娘は保育器の中におり、片方の肺に羊水が溜まっていました。ようやく入室を許された夫が、保育器を私の顔に近づけてくれたんです」

 

束の間のひとときは過ぎ、心エコー検査が始まりました。「循環器の先生が片手で検査をしながら、もう片方の手でマウント・サイナイ病院の循環器内科に電話をかけていました」「この状況になって、何かがおかしいと気付きました。マウント・サイナイ病院に移ると言われたんです。そこなら手術ができるから、と。娘のリヴィアと過ごせた時間はわずか20分...再び離れ離れになりました」

 

娘と一緒にいるべきか、妻に付き添うべきか ―― 夫は選択を迫られていました 。COVIDによる制約もあり、赤ちゃんを転院させることはできません。最終的に彼は妻に付き添う決断をし、これが功を奏することになりました。ユリアの意識は不安定な状態が続いていたからです。「体中痛くて。でも先生たちは何の処置もしませんでした。マウント・サイナイ病院に着いたところまでは覚えているんですけど、その後はずっと眠ったまま。目を覚ますと、いろんな部屋にいるんです。目の前にはサインが必要な書類がありました。再び目を覚ました時には、取り替える心臓の弁を機械弁にするか、豚の弁にするか、選ぶことになりました」

 

次に目が覚めた時には、口の中は管だらけ。「この時はパニックでした。忘れられませんよ(笑)」管が抜かれると、ユリアの元を循環器内科医が訪れ、大動脈解離を起こしたこと、その理由について説明してくれました。原因が遺伝性疾患であるとは当時医師もまだわかっていませんでした。その後、遺伝子検査でユリアがロイス・ディーツ症候群(LDS)であることが判明し、娘の検査も行われました。母子ともにLDSの3型でした。

 

心臓手術から回復したユリアは、引き続き脳動脈瘤の手術も受けることになりました。その後、彼女の関心は、新生児とLDSの両方を抱えた生き方へと向かうようになります。

 

支援の手を求めたものの、LDSは極めて希少性の高い疾患といわれた経験から、多くは望みませんでした。「もっと勉強しなければと思いました。娘がいるので自宅を離れることはできませんでしたし、彼女のためにしてあげられることを知りたかったので、LDSの親向けのチャットに参加することにしました」

 

LDSの子どものケアについて訊きたいと思っていたユリアでしたが、心臓手術を経験した人たちの話に勇気づけられることにもなりました。夫は大きな支えではあったものの、感情的な部分や身体に関することでユリアが感じていることを全て理解してくれるわけではなかったのです。彼女は他の人の経験談を聞いて安心することができたといいます。「術後のメンタルは、気分が沈んで、うつのような状態だったとチャットの仲間たちが教えてくれました。私も同じで、すごく気分が落ち込んで…しかも一人きりでしたから。でも、チャットの仲間たちはそれを乗り越え、笑顔で楽しそうにしていました。だから私も乗り越えられる、幸せになれるって思ったんです」

 

ロシア人であるユリアは、同じ母国で育ったLDSの母親とのチャットに偶然参加する機会に恵まれました。後で2人だけでロシア語で話をし、LDSの子どもを持つ親同士、質問し合ったり、経験を語り合ったりしました。「自分のことを心から理解してくれる人がいることを知り、助けを求められるようになりましたね」

 

ユリアとリヴィアには担当してくれるLDSのケアチームがいます。でも、病気がなかったら、18ヶ月の赤ちゃんのいる、ごく普通のママの生活と一緒です。ふたりとも毎日薬を飲んでおり、リヴィアが成長する過程で、してはいけないこともわかっています。それでも、落ち着いた平穏な日々を送っています。

 

今ユリアの家族が強くいられるのは、LDSの治療に精通した医療チームのおかげです。ユリアは、勉強を続けながら、明日を明るくしてくれるつながりを大切にしています。家族とチームとコミュニティ ―― どれもが支えあいながら強い絆で結ばれているのです。

 

出典:

www.loeysdietz.org

 

The Loeys-Dietz Syndrome Foundation, a division of The Marfan Foundation, did not participate in the translation of these materials and does not in any way endorse them. If you are interested in this topic, please refer to our website, loeysdietz.org.

The Marfan Foundation の一部局である The Loeys-Dietz Syndrome Foundation は、当翻訳には関与しておらず、翻訳内容に関してはいかなる承認も行っておりません。このトピックに興味をお持ちの方は、 loeysdietz.org にアクセスしてください。