海外マルファン情報

米国マルファン症候群患者団体The Marfan Foundationからの情報を中心に、マルファン症候群や関連疾患についての海外情報を翻訳して発信します。

兄がつなぐ命

2024年2月9日

 

カレン・ブルックス

 

 

私は生まれた時にマルファン症候群と診断されました。突然変異による発症だった父から、4人きょうだいのうちの2人がマルファンを受け継ぎました。今年の夏で82歳になる父ですが、マルファンとともに長い道のりを歩んできました。

 

謎の診断

 

父は幼少期の1940年代に眼科医からマルファンの診断を受けました。学校の黒板の字が見えづらかったことから、母親に連れられて眼科で検査を受けることになり、水晶体が浮いていることに気が付いた眼科医から、マルファン症候群を疑われたのです。確定診断のためにかかりつけ医を受診するよう促されたものの、マルファン症候群の詳細や治療法についての説明は一切ありませんでした。かかりつけ医によって診断は確定、しかしそれ以外に得られた情報は、父はおそらく30歳の誕生日を迎えることはできないだろう、ということだけでした。

 

眼科医とかかりつけ医では、マルファン症候群の治療法の手がかりやこの病気についての明確な情報、循環器科への紹介はなく、健康のために避けるべき運動についても知らされることはありませんでした。父が冒されているのは、マルファン症候群と呼ばれる何かとんでもない目の病気で、そのせいで30歳まで生きられないのだ ——— そう考えながら、二人は帰途に着いたのでした。

 

未知との戦い

 

普通の若者として、何の制限もなく人生を謳歌していた父。レーシングカーやオートバイに跨り、建設現場では削岩機を操り、重い荷物も持ち上げていました。30歳までに命を落とさなかったのは奇跡としか言いようがありません。

 

私たちが生まれると、すぐにマルファンの検査を受けました。一番上の兄と三番目の兄は陰性、二番目の兄と私は陽性でした。当時、父には自覚症状はありませんでしたが、医師の勧めもあり、The Marfan Foundation(当時はthe National Marfan Foundation)を紹介され、そこで毎月一回発行されるニュースレターの登録をしました。この団体とニュースレターがマルファン症候群に関する唯一の情報源だったのです。

 

喪失と学び

 

父が初めて心臓手術を受けたのは、1988年48歳の時、外科部長の執刀でした。手術をこれほど遅らせることができたことに感謝しました。2000年には、大のアウトドア派の兄が、大動脈の置換手術を受けることを夫婦で決断しました。兄の大動脈径は5cmに到達してはおらず、非常に近い数値だったのですが、二人は将来待ち受ける手術や頭から離れない大動脈解離の恐怖から逃れようとしていました。1988年に行われた父の手術は大成功。ならば医学が大きく進歩した2000年では、手術には何の問題もない、兄はこのように考えていたのです。

 

手術は2000年の4月に行われることになり、兄夫妻は非常に興奮していました。というのも、自己弁温存手術と呼ばれる新しい術式が使えるようになったと聞かされていたからです。この術式では、機械弁装着の必要はなくなることから、血液をサラサラにする薬を飲まずに済むのです。夫妻はこの医学の進歩に大きく勇気づけられていました。

 

手術から8時間後、大量出血により兄は亡くなりました。私たち家族にとっては、あまりに大きな試練であり、いずれ兄と同じ手術を受けることになるとわかっていた私は、とりわけ恐怖を覚えました。両親にはこれ以上の喪失を経験させたくありませんでした。

 

調査と希望

 

将来に向けた準備として、The Marfan Foundationに連絡を取り、マルファン症候群の患者さんの手術を専門にしている医師の紹介を依頼しました。その結果たどり着いたのがミシガン大学で、当時の外科医長と対面することが出来ました。そこでは、私が置かれている状況を説明し、先生を質問攻めにしました。心苦しく思いましたが、私と家族が更なる悲劇に見舞われないようにするためには必要なことでした。また、The Marfan Foundationからメールでフォーラムに招待され、マルファン症候群や起こりうる問題について多くを学ぶことができましたし、私と同じ立場の患者さんたちにメッセージを送って疑問に答えてもらうこともできました。

 

ミシガン大学の外科医の先生からは、自己弁温存手術は高い技術を要する手術であり、執刀できる外科医は世界中でもほんの一握りにすぎないことを知らされました。兄の執刀医が、そのうちの一人ではなかったことが悔やまれます。

 

数年後、私が手術を受ける番になりました。自己弁温存手術を選択、執刀はあの外科医長の先生でした。2008年10月20日に手術を受け、その後二度の修復手術を経たものの、自己弁温存手術のおかげで、11年間抗凝固薬を飲まずに過ごすことができました。深く感謝しています。

 

意義ある目的

 

三度の心臓手術に加え、両目の水晶体を摘出、その後両目で網膜剥離を起こしたことから、目の手術は合計四度受けることになりました。結果的に働くことは難しくなりましたが、それでもアクティブでありたいと思っていますし、受けた御恩をお返しするつもりです。

 

知り合ったマルファンの友人が、地元の医科大学で模擬患者をやってみたら?と言ってくれ、MSU Grand Rapidsキャンパスでのオリエンテーションに参加することになりました。自分の体調に合わせてスケジュール管理ができるので、私にはうってつけでしたが、一番大切なことは、大義に貢献していることを実感できたことです。医学生の皆さんにマルファンのことを説明して、実際の患者と診断とを照らし合わせてもらう、そうすれば、少しでもマルファンのことを記憶してもらえるのではないか、そして、その先の医学の道で命が救われたら嬉しい。模擬患者を始めてもうすぐ12年。非常にやりがいを感じ、満たされた気持ちでいます。

 

兄を失うことは私にとって大きな悲劇でした。しかし、父と私の命を救ったのが兄ならば、私の経験を医学生に伝えることで命が助かるかもしれない多くの未来の患者さんを救ったのも兄だと思うのです。The Marfan Foundationは驚くべき救いの手を差し伸べてくれました。関わりを持つことができたことは本当に幸運だと思います。そこで得た学びが、父を81歳まで生かしてくれているのですから。

 

カレン・ブルックスさんについて

 

ミシガン州ワイオミング在住。今年の9月で50歳を迎える。趣味は、旅行、動物、読書、学び、仕事、家族と過ごす時間、親の世話、アウトドア。

 

出典:

marfan.org

 

The Marfan Foundation did not participate in the translation of these materials and does not in any way endorse them. If you are interested in this topic, please refer to our website, Marfan.org, for materials approved by our Professional Advisory Board.

The Marfan Foundation は、当翻訳には関与しておらず、翻訳内容に関してはいかなる承認も行っておりません。このトピックに興味をお持ちの方は、Marfan.org にアクセスし、当協会の専門家から成る諮問委員会が承認した内容をご参照ください。