ストーン一族 ―― 不可解な謎に苛まれ、苦難を強いられた一族。苦しみは何世代にもわたって続き、幾多の専門家を訪れること数十年に及びました。ストーン一族の物語、それは一つの啓発の物語です。
大動脈解離
2009年、ストーン一族の2代目は大動脈解離で亡くなりました。初代の死から40年ほど経っていました。
「背が高くて、ヒョロっとしていて、しかも身体が柔らかいのは数名ですね。眼に問題があったり、側彎がある人もいます」こう語るのは、2019年、ストーン一族21名の中で最初にLoeys-Dietz症候群の診断がついたスティーブ・ストーン氏です。こうした特徴と大動脈解離の家族歴から、一族はMarfan症候群を疑ったといいます。「でも、Marfan症候群の遺伝子検査は陰性で、大動脈のサイズは一般人口での正常な範囲に収まっていました。なので、謎は残されたままだったんです。」
2019年前半、スティーブ氏の兄弟が亡くなります。死因はまたもや大動脈解離でした。その6週間後、今度はスティーブ氏自身が集中治療室に運び込まれることになりました。脳卒中の疑いでしたが、後に頚動脈の解離であることが判明しました。
マルファンではない
「そんな病気になってしまった以上、何が起きているのか突き止めないわけにはいかなくなりました」スティーブ氏は、当時を振り返りながら、自身のきょうだいや従兄弟から、可能な限りの医療情報を集めるようになったといいます。親戚数十人の記録を調べるうちに、網膜剥離や5cmを超える大動脈の所見、側彎症、その他の有力な症例に遭遇。家族の検視報告書も収集し、すべてを主治医に見せるつもりだったのです。
スティーブ氏はまず、かかりつけ医にかかり、その次に近くの胸部外科医を訪れました。どちらの医者も「どこも悪いところはない」と断言しましたが、疑問は解消されませんでした。
2人とも「普通の生活をしてください、半年経ったらまた来てくださいね」と言ったんです。納得できませんでしたね ―― 家族の医療情報が記されたファイルの山を抱え、Marfan症候群ではないという事実で身を固めたスティーブ氏は、家族ぐるみの友人でもある心血管外科医に診断をお願いしました。
一族の苦労が報われる日がやってきます。
君はマルファンではない。古くからの同僚がいるから、彼に相談してみなさい ―― それがブレイヴァマン医師と出会うきっかけとなりました。
アラン・ブレイヴァマン医師は、セントルイスにあるワシントン大学病院のMarfan症候群クリニックと胸部大動脈疾患センターの所長であり、バーンズ=ジューイッシュ病院で入院患者循環器部門の主任を務めています。また、The Marfan Foundationの専門家委員会のメンバーでもあります。
2019年の12月、ブレイヴァマン医師、そして遺伝カウンセラーのウィリング医師との話し合いの後、スティーブ氏は遺伝子検査を受ける決意をします。正確な診断を受けるためなら、必要な書類全てにサインする覚悟でした。
「本気で病気を解明しようとしてくれる人に出会えて本当に嬉しかったです。謎が解けることに関してはワクワクしました。でも、どのような結果が待ち受けているのか、そしてそれが意味するところについては不安でしたね」
真相から啓発へ
遺伝子検査の結果が出た ―― ブレイヴァマン医師は電話で、ストーン一族が10年来抱えてきた疑問への回答を明かしました。Loeys-Dietz症候群であると。
「感無量でした。私の血縁者全員、つまり、私の兄弟・姉妹、父の兄弟・姉妹、その子供全員が、 遺伝子検査を受ける必要があるとのことでした。2020年2月20日、自分がLoeys-Dietz症候群であることや遺伝子検査の詳細について、私達家族のFacebookグループにメッセージを投稿しました」
診断が確定したことで、スティーブ氏はLoeys-Dietz症候群の理解に時間を費やすようになります。自分自身や増え続ける血縁者への影響を知ろうとしたのです。スティーブ氏の前後の世代で、Loeys-Dietz症候群が疑われる血縁者は100名に及びました。
多くの医療関係者が携わり、数十年という歳月が必要でした。ですが、診断が確定したことで、Loeys-Dietz症候群に関する情報が得られ、これにより、ストーン一族の将来世代が救われることは間違いありません。
「今となって振り返れば、もっとはっきりとした兆候がわかるのかもしれません。でも、パズルの完成に必要なピースは長い間見つからなかったんです」スティーブ氏が語ってくれました。
Loeys-Dietz症候群との関連が疑われる大動脈解離で亡くなったり、Loeys-Dietz症候群と診断されたストーン一族は22人となりましたが、まだ遺伝子検査を受けていない人たちも多くいます。
病気の正体を突き止める ―― これこそ制限付きの生活を送る上で真っ先に必要なことだったのです。
「考え方や生活に変化はありましたけど、病気が分かって安心しました」
多くの犠牲が必要で、時間もかかりました。ですが、不可解な謎は苦難を経て、Loeys-Dietz症候群の啓蒙へとつながったのです。
出典:
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