海外マルファン情報

米国マルファン症候群患者団体The Marfan Foundationからの情報を中心に、マルファン症候群や関連疾患についての海外情報を翻訳して発信します。

幸運な女神

 

私のエピソードは、安っぽいホラー映画みたいなスタートですが、徐々にサイエンス・ドキュメンタリーへと変貌します。

 

2013年の13日の金曜日のこと。会社のクリスマスパーティーに参加していた私は楽しい時間を過ごしていました。キャンディケインストライプのストッキングとエルフシューズでドレスアップした私が、ディナー後の談笑を楽しんでいた時のことでした。突然、胸の真ん中に突き刺すような痛みを感じたのです。全身が紅潮して汗がダラダラ流れ、気を失ったような感覚に陥りました。異変に気づいた一人の友人が声をかけてくれました ―― 「どうしたの?」「胸が痛い」「ただの胸やけじゃない?」赤ワイン付きの豪華なクリスマスディナーの後だったこと、そして胸やけの経験もなかった私は「そうかも」と思い、胃酸を抑える薬を飲んで、痛みが過ぎ去るのを待ちました。ところが、30分経っても痛みに変化はなく、病院を受診することにしました。

 

病院に到着してすぐに治療を受けられたのは幸運としか言いようがありません。いくつかの検査の結果、大動脈解離A型であることが判明し、開胸手術のため、すぐに他の病院に転院しなければならなくなりました。2013年12月14日午前4:30 ―― 31歳の誕生日まで残り13日。そしてその手術が、私の手術人生の幕開けとなりました。

 

術後6日で退院できたこともあり、トータルで考えれば気分は晴れ晴れとしていましたが、過去に大きな手術の経験もなければ、病気のトラブルもなかった私にとって、術後の回復は不思議な感覚でした。胸骨を除けば、ほぼ全身が快調でエネルギーが満ち溢れていたのです。回復には、休養と運動が同じくらい重要でした。回復の経過は緩やかではありましたが、すごく順調で、一年以内にニューノーマルな生活に復帰することができたのです。

 

私の年齢、そして思いがけない発症であったことを考慮し、大動脈解離の原因を突き止めるべく遺伝子検査が行われました。マルファン症候群の検査は陰性。画像検査の結果、動脈蛇行がわかり、さらに遺伝子検査が続きました。そして、2015年9月25日、電話に出た私に遺伝子検査の結果が伝えられました。TGFBR1遺伝子の変異 ―― ロイス・ディーツ症候群であると。c.605C>Tという未登録の変異形が見つかったのです。この結果を受けて、定期的にMRI検査を受けることになりました。母も同じくLDSの遺伝子検査結果を受け取り、陰性だったものの、父は私の変異が父譲りであることを認めることはありませんでした。

 

定期的な画像検査を受けているうちに、危険な速度で大動脈基部が拡大していることがわかりました。2016年7月、損傷した大動脈と拡張している基部の修復のため、再び開胸手術を受けることが決まりました。二度目の手術は2017年9月。大動脈基部置換手術で、大動脈弁はOn-X機械弁に交換。大動脈弓全置換ではスペシャリストが呼ばれました。術中に麻酔科医が心室中隔欠損を見つけ、その場で修復が行われました。

 

9時間にも及ぶ手術の終盤にはトラブルもありました。左腕の鎖骨下動脈を再吻合する際、LDSの特性により、何度やっても血管が裂けてしまったことから、再吻合は諦めて縛るだけにし、最善の結果に期待することにした、とのことでした。幸い左腕の機能に問題はなく、日常生活において支障はありません。ただし、左腕では血圧や心拍の測定はできなくなりました。

 

二度目の開胸手術からの回復も非常に順調でした。新たなニューノーマルにも、以前よりもずっと早く適応できました。おそらく、3年前に一度手術を経験していたためだと思われます。心臓の穴を塞いだことと傷んでいた大動脈を修復したことで、若さあふれるハイパーエネルギッシュな女性に生まれ変わりました。ですが、ワーファリン療法への対応は思った以上に大変です。

 

月日は流れ、定期検査や画像検査を継続していた時のこと。いつもの画像検査で腹部大動脈に瘤が見つかりました。2019年4月のことです。血管外科の専門医が呼ばれ、2019年10月15日のCT検査で詳しく調べることになりました。この時の結果が思わしくなかったようで、11月13日に腹部大動脈の置換手術を受けることになりました。同時に左右の腸骨動脈の処置も行うということでした。

 

手術の日がやってきました。ワーファリンを飲んでいたので、腹部大動脈の手術ではお決まりの硬膜下麻酔ができません。そのため、術後の腰の痛みは、かつて経験したことのない激烈なものでした。開胸手術の時の背骨の痛みはひどかったという話を誰かから聞いたことがありましたが、まるで比べ物になりません。この時の腰の痛みが間違いなくワーストオブワーストです。

 

8日間の入院の末、病院を追い出される日が来ました。人生でこれほど大変だった時期はありません。看護師さんがやっと退院の許可をくれました。数日前では早すぎると思ったのでしょう。急いで自宅に帰り、進む方向を変えられるか確認してみました。3日間家にいた後では、快方に向かっていることがわかりました。ハッピー。これまでのところ、これほど大変だった試練はありませんでした。この文章を書いている時点で、手術から3年が経とうとしていますが、いまだ回復途上であり、腸の問題や腰の痛みとの格闘は続いています。

 

頻繁な画像検査は継続しており、狭い範囲ではありますが、置換が済んでいない大動脈の一部に亀裂が入っていることがわかりました。チームには注意深く経過観察してもらっています。

 

私は幸運な女神なのです。

 

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